ごはんを作るとき、気づいたらもう一人分の量で計っていたことがある。

洗濯物を畳みながら、突然手が止まったことがある。あの子がいなくなってから何ヶ月も経つのに、まだそこにいる気がして、声をかけそうになったことが、ある。散歩に行こうとして、リードを手に取ってしまったことがある。

あの子がいた場所に、今は何もない。それに慣れなくていいのだと思います。

ペットを亡くした後の悲しみを「ペットロス」と呼ぶことがあります。でもその言葉は、実際に経験している人が感じているものの重さを、十分に表せていないことが多い。ものをなくしたのではなく、家族が、友人が、毎日そばにいてくれた存在がいなくなったのです。その喪失の深さを、周囲の人はなかなか理解してくれないことがある。そして、理解してもらえないとわかるほど、自分の悲しみをどこに置いていいかわからなくなっていきます。

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あの子の死は、「大げさ」ではなかった

ペットを亡くして深く悲しんでいる人に、「でも動物でしょ」という言葉をかける人がいます。

その言葉の重さを、かけた本人はたいてい知りません。でも受け取った側には、深く刺さります。「自分は大げさなんだろうか」「もう立ち直れていないのは、おかしいんだろうか」——そういう問いが、悲しみの上にもう一枚、積み重なっていきます。

ペットロスの悲しみが長引くことや、日常生活に影響を与えることは、感情の弱さや大げささの表れではありません。愛着があった存在を失うということは、それだけで十分に、大きな喪失です。

ペットロスを経験した人の中には、職場に「ペットが死んだから休む」と言い出せずに普通に出勤した人もいます。葬儀の場を設けることもできないまま、一人で抱えた人もいます。悲しいと言えば「また飼えばいい」と返ってくることを知っているから、黙っている人もいる。その孤独は、悲しみそのものとは別の重さを持っています。「自分だけこんなにつらいのはおかしい」という感覚が、長く続くことがあります。

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データは違うことを言っていた

2026年、北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストの研究チームが、ペット死別後の悲嘆について大規模な調査を実施しました(Hyland P et al., PLoS ONE, 2026)。

イギリス国内の975人の成人を対象にした、全国的に代表性のある調査です。参加者の多くは、ペットとの死別も、大切な人間との死別も、どちらも経験していました。

その中で、ペットを亡くしたことのある人は**32.6%(318人)**いました。そして、ペットと人間の両方を亡くしたことがある人のうち、21.0%が「ペットの死の方が、より辛かった」と答えました。

5人に1人が、人間の死別よりもペットの死別の方がつらかったと感じていた。この数字は、研究者たちが「人はペットとの間に、深い感情的な絆を形成する」という既存の知見と一致していると述べています。

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7.5%という数字が示すこと

研究チームが特に調べたのは、「遷延性悲嘆障害(PGD)」と呼ばれる状態についてです。

PGDとは、死別後に強い悲嘆が長期間続き、日常生活に支障をきたしている状態を指す精神科的な診断です。ICD-11(国際疾病分類)やDSM-5-TR(精神疾患の診断・統計マニュアル)に記載されている、正式に認められた診断名です。

ペットを亡くした後にPGDの診断基準を満たした人の割合は、**7.5%**でした。

この数字が意味することを、他の死別のケースと比べてみます。きょうだいを亡くした場合は8.9%、配偶者を亡くした場合は9.1%、親を亡くした場合は11.2%です。ペットの死別後のPGD発症率は、きょうだいや配偶者との死別の場合と、ほぼ同じ水準にあります。

また、研究チームはペット死別がPGDのリスクをどれだけ高めるかも調べました。ペットを亡くした人は、そうでない人に比べて1.27倍PGDになりやすかったといいます。これは親を亡くした場合(1.31倍)や、きょうだいを亡くした場合(1.21倍)と同程度の数値です。

7.5%という数字をどう見るかは、立場によって違うかもしれません。でもこの数字が示していることは、「ペットを亡くした人のうち、13人に1人程度は、悲しみが長期化して日常生活に支障をきたすほどの状態になっている」ということです。ごく一部の例外的な人だけの話ではなく、ペットを亡くした人の中にある一定の割合で、そういう状態が起きうる——それがこの調査の示していることです。

さらに、日本を含む世界全体でPGDがどれだけ存在するかという観点からも計算すると、全PGD症例のうち約8.1%がペット死別に起因しているという推計が出ました。これは「12件に1件」の割合で、親の死別に次いで2番目に大きな比率です。

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「診断書に書けない」という現実

この研究で最も重要な発見の一つは、PGDの症状が人間の死別とペットの死別で「まったく同じ形で現れる」という点です。

悲嘆の症状が測定の方法として同等かどうかを統計的に検証した結果(測定不変性の分析)、ペット死別を経験した人と人間の死別を経験した人とで、PGDの症状の表れ方に差がありませんでした。症状の意味する内容も、重さも、構造も——すべて同じでした。

ここに、一つの矛盾があります。

現在のICD-11とDSM-5-TRはどちらも、PGDの診断にあたって「亡くなったのは人間でなければならない」と定めています。ペットの死別は、診断の対象外とされています。

つまり、ペットを亡くして、PGDに定められたすべての症状を満たしていても、それは正式には「遷延性悲嘆障害ではない」と診断されることになります。どれだけ悲しみが続いていても、どれだけ日常生活が変わっていても——「あなたが亡くしたのは犬や猫だから」という理由で、診断の枠の外に置かれます。

この研究の著者たちはこの現状について、「科学的に根拠がないだけでなく、思いやりを欠いた判断である」と明確に述べています。

「診断書に書けない」というのは、単に書類上の問題ではありません。精神的な支援を必要としている状態にあっても、適切な名前がつかないと、専門家に相談するきっかけをつかみにくくなることがある。「これはPGDです、支援が受けられます」と言えるかどうかは、実際に困っている人の生活に影響します。ペット死別を「正式な原因」として認めるかどうかという問いは、科学の話であると同時に、目の前で苦しんでいる人をどう扱うかという問いでもあります。

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あなたの悲しみに、名前がある

診断名がつかなくても、悲しみは本物です。

あの子のことを思い出すたびに胸が痛くなること、しばらく経ってからも何かのふとした瞬間に涙が出ること、あの子がいたころの日常が恋しくてたまらないこと——それは、弱さではありません。愛着があったということの証明です。

ペットロスの悲しみを感じることに、恥はありません。むしろ、研究が示しているのは、その悲しみがきょうだいや配偶者を失ったときと同じ深さにありうる、ということです。

あなたがまだ悲しんでいるのは、あの子のことをそれだけ大切にしていたからです。その悲しみは、十分すぎるほど正当なものです。

どうか、自分を責めないでください。「いつまでも引きずっている」という言葉を、自分自身に向けないでください。

悲しみには、時間がかかります。それは当然のことです。あなたの悲しみには、名前があります。ただ、今はまだ、診断書には書けない——それだけのことです。