震災の報道の中に、ときどきあの写真が出てきます。

避難所の前に、犬を繋いだままの風景。置いていかなければならなかった子たちの話。戻ろうとした飼い主が、戻れなかった話。「連れていっていいですか」と聞いて、断られた話。

当時、多くの人が感じたはずです。「なぜ、一緒に逃げられないのか」と。

その問いを、社会学の研究として正面から調べた人がいます。

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「なぜ」を65人に聞きに行った研究

立教大学社会福祉研究所の梶原はづき氏が2018年に取得した博士論文は、東日本大震災を対象にした「災害とコンパニオンアニマルの社会学」でした。2019年に日本社会学会で発表されたこの研究は、飼い主、動物ボランティア、関係者など計65名へのインタビューと、補足的な74名へのアンケート調査をデータとしています。

調べたのは「津波災害と原子力災害(福島)で避難した飼い主たちが、コンパニオンアニマルとの関係性をどのように語っているか」——そして、その語りの背後にある社会構造の問いでした。

普通の社会学調査のように、意識を数値化するだけではありませんでした。なぜ「連れていけなかった」のか。なぜその状況が繰り返されたのか。背後にある「社会の論理」を解き明かそうとする研究でした。

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「矮小化」と「崇高化」という、真逆の無視

梶原が分析対象としたのは、津波被災地と原子力災害による避難区域という二つの地域でした。両者で状況は異なりますが、コンパニオンアニマルをめぐって共通する「構造」が浮かび上がったと論文は述べています。

研究の結果として梶原が明らかにしたのは、意外な構図でした。

災害の現場には、コンパニオンアニマルに対する「二つの対応」が存在していました。

一つは、コンパニオンアニマルの生命の価値の矮小化です。避難という緊急事態の中で、「人命優先」の論理のもとに動物の命が後回しにされる。施設には入れない。車に乗せられない。「ペットは置いていってください」という言葉が繰り返された。

もう一つは、動物救助活動家による動物の命の崇高化です。「すべての命は平等だ」という信念のもと、動物救助に集中する活動家たちが被災地で活動しました。これは一見、矮小化の対極にある対応に見えます。

しかし梶原の分析は、「この二つは表面的に真逆に見えて、同じものを見落としている」と指摘しました。

どちらの対応も、飼い主とコンパニオンアニマルの「関係性」を重視していなかった、ということです。

矮小化は、その子の命が大切に思われていることを無視します。崇高化もまた、「この子は〇〇さんと15年一緒に暮らしてきた」という個別の絆を無視して、「すべての動物の命」という抽象へと向かいます。

どちらの場合も、「二人の間にある何か」——つまり関係性そのもの——は、社会的な考慮の対象になっていなかった。

梶原の語り方を借りれば、「飼い主とコンパニオンアニマルの関係性は重視されなかった」ということです。それは意図的な排除というよりも、その関係性を「重視すること」のできる言語や枠組みが、社会に存在していなかったためです。

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社会の構造が「きずな」を見ていない

なぜそうなったのか。梶原が指摘した因果メカニズムは、鋭いものでした。

社会は「コンパニオンアニマル」を「商品」としてしか概念化できない構造の中にある——という指摘です。

「動物愛護」という言葉は、ある意味で曖昧で情緒的な概念です。それは「動物全般を大切にしよう」という方向には作用しますが、「この飼い主とこの犬の間にある15年分のきずな」には向き合えません。

一方で、動物は法的に「物」に分類されています。ペットは所有物です。所有物を連れていけるかどうかは、状況によって判断される「便宜」の問題になります。避難所のルールは、ペットを「荷物」として扱う論理から作られています。

矮小化も崇高化も、どちらも「動物の命の価値」を問いますが、「飼い主と動物の間の関係性の価値」は問いません。そのための言語も、そのための権利も、社会には存在していなかった——それが梶原の結論でした。

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「結びつきの権利」という提案

梶原が博士論文の結論として提示したのは、"Bonding Rights"(結びつきの権利)という概念でした。

既存の「動物愛護」でもなく、「動物権利」でもない。それは「人とコンパニオンアニマルとの結びつき」を「権利」として社会的に認めるという発想です。

この権利が社会に受け入れられれば、避難所の設計が変わります。緊急時の判断基準が変わります。「連れていけない」という言葉の重さが、社会的に認識されることになります。

もちろん、この概念はまだ理論的な提案の段階であり、法律や制度に反映されるまでには長い道のりがあります。梶原自身も「今後はこのBonding Rightsの輪郭と範囲を明確化するよう努め、一般社会に受け入れられる概念になるよう、精緻化の努力を続けていく」と述べています。

ただ、「関係性を権利にする」という発想そのものは、いくつかの問いを私たちに投げかけます。

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その子との「きずな」は、今どこにある

「災害時に連れていけない」は、今の日本では珍しくない話です。

東日本大震災以降、ペット同行避難の方針を定める自治体は増えました。でも「同行避難」は「避難所でペットと一緒にいられる」とは別の話です。多くの避難所では、ペットは屋外や駐車場に繋がれたままです。「連れていける」と「一緒にいられる」の間には、まだ大きな距離があります。同行避難の方針があっても、実際の避難所運営では「ペットがいると他の避難者に迷惑がかかる」という判断が優先されることも少なくありません。災害後に多くの被災地で報告されたのは、屋外の駐車場に犬を繋いだまま、飼い主が避難所の中で夜を過ごすという状況でした。

梶原の研究が指摘しているのは、その距離が単なる「ルールの問題」ではなく「社会の構造の問題」だということです。ペットとの関係性が「権利として守られるもの」という位置づけになっていないから、緊急時に「例外扱い」で後回しになる。

社会学者がインタビューをもとに丁寧に積み上げた問いは、むずかしい言葉でできています。「批判的実在論」「社会構造の因果メカニズム」。でも、その問いの核心は単純です。

「あの子との15年は、社会にとって何ですか」という問いです。

その答えが「個人の感情」でしかないとしたら、緊急時にそれは後回しにされる。でも「権利」であるとしたら、話が変わります。

それを考えることが、たぶんこの研究が残したものです。

あなたとあの子の間にあるものが、「権利」と呼べるだけの重さを持っていると、社会が認識する日が来るかどうか。

今はまだ来ていないけれど、問いは立てられました。

この研究(梶原はづき, 2019, 立教大学社会福祉研究所)は博士論文の学会発表要旨をもとにしています。質的インタビュー(65名)と補足アンケート(74名)を主なデータとする社会学的研究です。数量的な指標ではなく、語りの分析と社会構造の解釈が中心です。「Bonding Rights」はまだ理論的な概念提案の段階であり、法的・制度的な実装には至っていません。東日本大震災という特定の文脈から導かれた知見であり、他の災害や文化圏への直接的な一般化には慎重さが必要です。