横になって、目を閉じた。数分もすると、足が小さく動き始める。
うちの子の昼寝を隣で見ていると、「今、何が起きているんだろう」と思う瞬間があります。足が動いているということは、何かを夢で走っているのか。閉じた目の奥で、脳はどんな状態にあるのか。
眠っているあの子の頭の中を、もし覗けたとしたら——。
そういう問いを持っていたある日、ブダペストの研究チームが発表した論文に出会いました。
犬の眠りは、人間とかなり違う
そもそも犬の睡眠は、人間とは異なる構造をしています。
人間は夜にまとめて眠る「単相性」に近い睡眠ですが、犬は昼間も含めて何度も短い睡眠を繰り返す「多相性(ポリファジック)」の眠りを持っています。1日のうちにNREMとREMのサイクルを何度も繰り返し、その間に目覚める時間が挟まる。覚醒・眠り・覚醒・眠りという波が人間よりも短いサイクルで続くのが犬の睡眠リズムです。
NREMスリープは「ノンレム睡眠」とも呼ばれ、脳波がゆっくりとした大きな波を刻む深い眠りの時間です。REMスリープはその逆で、脳が活発に活動しながら体の筋肉は緩んでいる段階——足が動いたり、うなったりするのはこの時間帯です。
犬の睡眠において、NREMスリープは睡眠の質を示すマーカーとして有用であることが知られており、Bódizs(2019年)らのレビューによれば、犬は睡眠中の記憶の整理・改善も示すことが確認されています。眠ることで学習が定着するのは、犬でも人間でも共通した仕組みです。
眠っている犬の脳に、電極をつけた
ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学 Family Dog Project(家族犬プロジェクト)のReicherらが2021年にScientific Reports誌で発表した研究は、家庭犬の睡眠中の脳波を非侵襲的に記録したものです。
実験に参加したのは19頭の家庭犬(1〜9歳、平均4.6歳、8犬種と雑種犬が含まれる)。もともと30頭が参加したのですが、NREMスリープ中に十分なアーティファクトフリーのデータが取れなかった11頭は除外されました。犬たちはすべて、飼い主と一緒に研究室に来て、電極をつけた状態で午後のお昼寝をしました。
ここで重要なのは「研究室」という点です。いつも眠っている自分の家ではなく、知らない場所に来て眠るという状況が、今回の発見につながりました。
脳波(EEG)は頭部と顔の数か所に電極を配置して記録され、犬ごとに2回の午後の記録(1回目と2回目の記録は平均3.9週間の間隔)が行われました。研究チームが注目したのは、NREM睡眠の第1サイクルと第2サイクルにおける、左右の半球の電気活動の差——つまり「半球間非対称性」でした。
左半球が、少し多く動いていた
結果を一言で言うと、「最初の記録の最初のサイクルで、左半球が右半球より活発だった」ということです。
具体的には、1回目の睡眠記録における第1NREMサイクルで、周波数帯1〜16Hzにわたって左半球優位の非対称性が統計的に有意なかたちで観察されました(いずれもp<0.05、Rüger領域基準を満たす)。
2回目のNREMサイクルでは、この非対称性は消えていました。そして2回目の睡眠記録(2回目に研究室に来たとき)では、第1サイクルでも非対称性は確認されませんでした。
つまり、「初めて来た場所での最初の眠り」にのみ、脳の左右差が出た。
犬ごとの非対称指数(AI)の平均値は0.15で、個体間では0から0.6まで幅がありました。全体的には左半球優位という傾向があるものの、それとは逆のパターンを示した個体もいたことが論文では記されています。
「初めての場所」で脳が変わる理由
この非対称性が何を意味するかを考えると、人間の研究で「初夜効果(First Night Effect)」として知られる現象と重なってきます。
人間が初めての場所で眠るとき、睡眠の質が落ちることがあります。ベッドが変わった夜、なぜかよく眠れなかった経験のある方は多いと思います。それは単なる「慣れていない」感覚だけではなく、脳が片側をより起きた状態に保ちながら環境を監視しているためと考えられています。
同じ仕組みが犬の脳でも起きていた可能性がある、というのがこの研究の解釈です。
研究チームは論文の中で「脳の監視機能」という観点からこの結果を論じています。片方の半球が「番をする」ことで、眠りながらも外の世界からの信号を拾い続ける——それが初めての環境でより強く現れる。この機能は、外敵から身を守るために常に警戒を保つ必要があった動物の進化的な適応の痕跡だと考えられています。
2回目の記録で非対称性が消えたことは、犬がその場所を「安全だ」と学習したことを示唆しているかもしれません。
イルカは片目を開けて眠る
この研究で示された犬の非対称指数(平均0.15)という数値を、他の動物と比べてみると面白いことがわかります。
水中で暮らすアシカやイルカなどの水生哺乳類は、「半球睡眠(unihemispheric sleep)」という仕組みを持っています。文字通り、一方の半球が眠っているとき、もう一方は目覚めた状態にある。泳ぎながら眠ることができ、溺れないように、あるいは捕食者から逃げられるように、脳の半分を常に起こしておく必要があるためです。水生哺乳類の非対称指数は0.8に達することもあります。
一方、ネズミの非対称指数は0.1未満、鳥類でも0.3未満とされています。人間の最大非対称指数は約0.1(MEG計測)と報告されています。
犬の0.15という値は、ネズミや人間より少し高く、鳥類と同程度です。水生哺乳類には遠く及ばないものの、「眠りながら片側が見張りをする」機能の痕跡が、犬にも確かに残っている——そう見えてきます。
犬は地上で暮らし、人間と一緒に安全な環境で眠るようになって久しい動物です。完全に半球を分けて眠る必要はなくなっていても、その名残が、わずかな非対称性として眠っている脳波に刻まれているのかもしれません。
知ってから、昼寝の横に座った
この研究が示したのは、「脳の半分が眠る」という劇的な話ではありません。ほんのわずかな非対称性が、初めての場所での最初の眠りにだけ現れ、2回目には消える——そういう静かな話です。
でもその静かさが、私には少し胸に刺さりました。
あの子が初めて来た場所でお昼寝をするとき、眠りながら脳の片側が、外をずっと見張っていたかもしれない。「ここは安全か」を、眠りながら問い続けていたかもしれない。
2回目の記録でそれが消えたということは、1回目の経験を通じて「ここは大丈夫だ」と学習したということでもある。
研究チームのBódizs(2019年のレビュー論文)は、犬が睡眠を通じた記憶の改善を示すことを報告しています。眠ることで記憶が整理され、学習が定着する——その仕組みが犬にも備わっていることは、別の研究でも確認されています。眠りはただの「活動の休止」ではなく、脳がはたらき続けている時間でもある。
自分の家で毎日眠るあの子の脳が、今どんな状態にあるかは、この研究では直接わかりません。ただ、「慣れた場所で安心して眠っている」なら、あのわずかな非対称性はもう消えているかもしれない。片方の脳が見張りをしなくても、ここは大丈夫だと知っているのかもしれない。
昼寝をしているあの子の横に座ると、今は少し違うことを考えます。足が動いているのはきっと夢のせいで、脳の左右は今日はまっすぐ同じように、深く眠っているのではないかと。