教えた翌日、急にできるようになっていた、ということがあります。
前日はどれだけ繰り返しても反応が曖昧で、「今日は調子が悪かったのかな」と思いながら切り上げた。翌朝、改めて試してみたら、なぜか前日よりずっとスムーズに。あの感覚、ありませんでしたか。
(その間に何も教えていないのに、なんで?)と思ったことが、私にも何度かありました。
あの子は、眠りながら練習していた
2017年、ハンガリー科学アカデミーの研究チームが、Scientific Reportsに犬の睡眠と記憶に関する論文を発表しました。
研究は2段階に分かれていました。最初のパートでは、15頭のペット犬に対して、脳波計(EEG)を頭に装着したまま眠ってもらいました。非侵襲的な計測法が使われており、犬は自分の家から連れてきてもらい、実験室でリラックスした状態で3時間眠りました。
学習課題は「新しいコマンドをすでに知っている動作に結びつける」というものです。「座れ」「伏せ」はもう知っている。でも、それをまったく別の言葉(ハンガリー語の犬たちに、英語のフレーズ)で聞いたとき、正しい行動ができるか。その練習の前後で、睡眠の脳波がどう変わるかを調べました。
脳波に、学びの跡が出た
新しいコマンドを学んだ後の睡眠は、学んでいない日の睡眠と、脳波のパターンが明確に違いました。
ノンレム睡眠でのデルタ波(1〜4Hz)の活動が有意に増加し(p=0.011)、アルファ波(8〜12Hz)の活動は有意に減少していました(p=0.043)。人間の睡眠研究で「深い睡眠の指標」として知られるのと同じような変化が、犬の脳にも起きていた。
レム睡眠でも変化がありました。シータ波(4〜8Hz)の活動が有意に増加していました(p=0.011)。シータ波は、記憶の再生や固定化に関わるとされる周波数帯です。
そして、脳波の変化は翌朝の成績にも表れていました。3時間の睡眠のあとで同じコマンドをテストすると、睡眠前より有意にパフォーマンスが向上していたのです(p=0.002)。しかも、レム睡眠でのデルタ波の減少が大きいほど、成績の向上も大きかった(r=−0.683、p=0.01)。
脳波の変化がそのまま、翌日の「できる」につながっていた。
53頭で確かめた、もう一つの発見
研究チームは続いて、53頭のペット犬を対象にした行動実験を行いました。同じ「新しいコマンドを覚える」課題のあと、1時間の休憩を4つのグループに分けて与えました。
- 睡眠グループ(14頭):飼い主の車の中で昼寝
- 散歩グループ(14頭):キャンパス内をリードで歩く
- 別の学習グループ(12頭):まったく異なるコマンドの練習
- 遊びグループ(13頭):コングで遊ぶ
1時間後にすぐテストし、さらに1週間後に長期記憶も確認しました。
結果は予想を超えていました。
1週間後の長期記憶テストで、睡眠グループと散歩グループはどちらも有意に成績が向上していました。ただし散歩も含まれたことから、「睡眠そのものが当日に決定的」というより、「家に帰ってから夜寝ることで最終的に固定化された」と研究チームは解釈しています。
そして最も印象的だったのは、別の学習グループの犬たちは、1週間後も成績が向上しなかったことです。
新しいことを覚えた直後に、また別のことを覚えようとする。そうすると、最初に覚えたものの記憶が、長期的に定着しなかった。
詰め込みすぎが、記憶を消していた
「ひとつ覚えたら、次も教えよう」と思ったことがある人は、多いと思います。
調子がいい日ほど、あれもこれもと続けたくなる。でもこの実験が示したのは、その「続けて次の課題」が、最初に学んだ内容を長期記憶から追い出してしまう可能性があるということです。
研究チームは「新しい学習体験が、直前の記憶固定化のプロセスに干渉した」と述べています。ひとつの情報を定着させるのに必要なプロセスが、次の学習によって上書きされてしまう。
人間でも同じことが示されているようです。学習と学習の間に「ぼーっとする時間」が記憶に役立つ、という研究が人間では出ているそうです。犬も、おそらく同じ原理で動いている。
眠っている間に、あの子は何をしているか
この研究を知ってから、眠っているあの子を見る目が変わりました。
足が少し動いていたり、くしゅっと鼻を動かしていたりする瞬間。「夢でも見てるのかな」と思っていたあの時間が、実は「昼間に練習したことを、脳の中で整理している時間」だったかもしれない。
EEGで記録された脳波の変化は、学習した直後の睡眠で顕著に表れていました。あの子が眠っている間に、脳はデルタ波とシータ波の変化の中で、その日の経験を記憶に変えていた。
「教えた翌日、急にできていた」のは、偶然ではなかったかもしれない。
今日のトレーニングのあとで
研究チームが最後に記していたのは「今後の課題」でした。老犬では睡眠パターンが変化することが知られており、加齢に伴って記憶固定化の効率も変わる可能性がある。また、どのくらいの睡眠時間が最適かは、犬によって違うかもしれない。
この研究はN=15(EEGパート)とN=53(行動パート)という規模であり、全ての犬種や年齢に直接当てはまるかどうかは慎重に見る必要があります。ただ、「学習後に睡眠をとると記憶が定着しやすい」「直後に別のことを教えると干渉が起きる」という大きな傾向は、人間の睡眠研究ともよく一致しています。
今日の練習を終えたとき、あの子が少しまどろんだなら。
その静かな時間に、午前中に練習したこと、夕方に褒めた瞬間が、ゆっくりと記憶の中へ根を張っているかもしれません。