あの子は、あなたが見えているのと同じ世界を見ているのだろうか。
散歩中、赤いポールをすり抜けていく。赤いおもちゃより青いおもちゃをよく追いかける。緑の草むらの中に落ちたオレンジのボールを、すぐそこにあるのになかなか見つけられない。そういう場面を見ながら、「もしかして、色が違って見えているのかな」と思ったことがある方は、多いと思います。
「犬は色盲」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。でも、「色盲」というのは色がまったく見えないわけではなく、見えている色の「種類」が違うということです。人間は3種類の色を基本として世界を見ていますが、犬はそのうち2種類を持ちます。その2種類で見える世界が、どんなものなのかを科学は少しずつ明らかにしています。
そしてもう一つ、面白い発見があります。犬は「色」という情報を、明るさよりも積極的に使って判断していた——という実験結果です。見える色の種類は少なくても、その少ない情報をきちんと活用していた。あの子が世界をどう見ているかという問いへの答えが、少しずつ形になってきています。
錐体細胞の数が、世界の色を決める
あの子が見ている世界の色が人間と違う理由は、目の中の「錐体細胞(すいたいさいぼう)」の種類の違いにあります。
人間の目には3種類の錐体細胞があります。長波長(赤)、中波長(緑)、短波長(青)に反応するものです。この3種類の組み合わせによって、私たちは赤・青・緑のほか、それらが混ざったオレンジ、紫、さまざまな中間色を見分けることができます。
犬の目には、錐体細胞が2種類しかありません。青(約429nm)と黄緑(約555nm)に反応するものです。犬の色の世界は、人間で言えば「赤緑色盲」に近い構造です。赤いものと緑のものが同じような色に見えている可能性がある。オレンジと黄色が区別しにくい。そういう視覚の持ち主です。
犬の目には、赤を認識する錐体細胞がありません。あの子があなたに見せてくれた赤いボールは、あの子には「くすんだ黄色か茶色っぽいもの」として見えていたかもしれない。
錐体細胞は全網膜細胞の3%ほどで(人間は約5%)、色覚の解像度という面では人間より劣ります。一方、明暗を感知する杆体(かんたい)細胞は豊富で、暗い場所での見え方は人間より優れている可能性があります。目の奥に「タペタム」と呼ばれる光反射層があり、夜間に光を2度通すことで暗所の感度を上げる仕組みもあります。暗い中での優秀さと引き換えに、明るい中での色の豊かさを省いた目、とも言えます。
日常の場面に当てはめると、こういうことです。青い空、黄色い花、夕暮れ時の光の変化——これらはある程度感知できる可能性があります。でも、赤いリードと緑の草、赤いおもちゃとオレンジ色のおもちゃ——これらは似たような色に見えていることがあるかもしれない。緑の芝生の中に落とした赤いボールを見つけられないとき、あの子の目には本当に「見えていなかった」という可能性があります。
それでも、色を使っていた
「犬は色に鈍感」という結論で話が終わりそうなところに、少し引っかかりを残す実験があります。
ジョージア州立大学の研究チームが2013年に発表した実験(Kasparson, Badridze & Maximov, Proceedings of the Royal Society B)では、8頭の未訓練の犬に対して、色と明るさの両方が異なる刺激を同時に提示しました。片方は「正解の色」で「明るさは低め」、もう片方は「不正解の色」で「明るさは高め」というセットです。もし犬が明るさで判断しているなら、明るい方の刺激を選ぶはずです。もし色で判断しているなら、明るさが低くても正解の色の方を選ぶはずです。
結果、8頭全員が、明るさより色を手がかりにして選択しました。
この実験が面白いのは、犬が「色を使えるかどうか」ではなく、「色と明るさのどちらを優先するか」を測った点です。過去の多くの研究は、明るさ情報を統制せずに実験を行っていたため、犬が本当に色を見ているのかが不明確でした。この実験では意図的に明るさを「色を使わなくても間違えない水準」に設定したにもかかわらず、犬は色を使ったのです。
見える色の種類が少ないのに、その少ない色の情報を積極的に活用していた——研究チームはこの結果を「犬にとって色は、視覚的な物体認識の基本的な要素である可能性がある」と解釈しています。持っている道具が少なくても、その道具を使い切っているということです。
視力と、フリッカー感度という話
色だけではなく、犬の視覚にはほかにも人間と違う特徴があります。
視力は人間より低いとされています。推定値は「20/75」という数字が使われることがあります。人間の標準が20/20とすると、75フィート先でようやく人間が20フィート先で見えるものを見分けられる水準です。これはおよそ人間の視力の4分の1以下に相当します。ただし、この数字はビーグル3頭や柴犬3頭を対象にした研究から推定されたものであり、犬種による差は大きい可能性があります。
一方で、フリッカー融合頻度(ちらちらを「動画」として認識するしきい値)は犬の方が高い——つまり、テレビの画面を人間が「なめらかな動画」と感じているとき、犬には「コマ送り」に見えている可能性があります。研究では犬の値が約70〜80Hz、人間が約60Hzとされています。テレビにはほとんど反応しないあの子が、実際にはテレビを別の何かとして見ている可能性があります。
また、犬の目にはUV光(紫外線)を透過するレンズ特性があることが報告されており、人間には見えない波長の光を感知している可能性も示唆されています。あの子が特定のものに強く反応するとき、それはあなたには見えていない何かが見えているからかもしれない。
色が違っても、伝わるものがある
あの子の目に見えている世界は、あなたが見えているものとは違います。赤はくすんで見え、視力は鈍く、でも暗い中でもよく見え、色を手がかりに積極的に判断している。
この事実は、日常の中のいくつかの場面を少し違って見せてくれます。
緑の芝生の中に落とした赤いボールが、なかなか見つからないのは当然です。あの子には、草と同じような色に見えている可能性があります。青や黄色に近いおもちゃの方が、あの子の視覚にはより鮮明に映ります。
でも同時に、あの子がしっかりと「あなたを見ている」こともわかります。色がわかっている。明るさよりも色を積極的に使って判断している。その目で、毎日あなたを見つけているのです。
あの子が今どんな色の世界を見ているか、まだ完全にはわかりません。でも、あの子なりの色の世界があり、その中であなたのことを認識しているのは確かです。あなたに見えている赤が、あの子には違う色で見えていたとしても、そこにいるあなたを見ているのは同じです。
おもちゃを選ぶとき、青や黄色に近い色の方があの子の目に鮮明に映る可能性があります。ボールを草の上に落とすなら、緑に溶け込みにくい青や黄色の方が見つけやすいでしょう。小さなことですが、あの子の目に届きやすい色を選ぶことは、遊びをより楽しいものにする一つのヒントです。