「ダメ」と言い続けていた時期があります。

引っ張られるたびに。吠えるたびに。飛び上がってくるたびに。「ダメ」「いけない」「こら」——言葉はいくつか持っていて、声を荒げることもありました。これが「しつけ」だと思っていました。ルールを教えるには、なにかを禁止することが必要で、禁止するには叱ることが必要だ、という考え方が自然にありました。

やっていないことへの罰よりも、やってほしいことへの報酬の方が効果があるとは聞いていました。でも「それって結局甘やかしじゃないの」という感覚も、どこかにあった気がします。叱らずに何でも褒めてばかりでは、けじめがつかない。そう思っていた部分がありました。

でも、なかなか変わりませんでした。言うことをきく場面が増えない。むしろ同じことが繰り返される。「この子はしつけが難しいのかな」と思い始めていたとき、ある調査を読んで、少し止まりました。

364人の飼い主に、しつけ方法を聞いてみた

イギリスのブリストル大学・アントロゾオロジー研究所のHibyら3名が2004年にAnimal Welfare誌に発表した研究は、364人の犬の飼い主にアンケートを行い、どんな方法でしつけをしているか、犬はどのくらい言うことをきくか、問題行動はどのくらいあるかを調べたものです。

どんな方法が使われているかを見ると、66%が声による罰(叱る・怒鳴るなど)を使っており、12%が身体的な罰を使っていました。一方、褒める(社会的報酬)を使うのは60%、食べ物を使う報酬は51%、遊びは11%でした。多くの飼い主が叱ることを主なしつけ手段として使っていたことがわかります。

この調査の面白いところは、「どのくらい言うことをきくか」と「どのくらい問題行動があるか」の両方を測り、それぞれとしつけ方法の関係を分析したことです。7つの基本的なコマンドへの従順さと、16種類の問題行動の有無を飼い主が評価する形式でした。7つのコマンドには「おすわり」「ふせ」「まて」「呼び戻し」などが含まれており、16種類の問題行動には吠え、引っ張り、飛びつき、咬みなどが含まれていたと考えられます。使うしつけ方法の組み合わせによって、この2つの指標がどう変わるかを見た調査です。

叱ることと、言うことをきくことは、関係がなかった

調べたら、あまり予想していなかった数字が出てきました。

報酬(褒め・おやつ)を使って訓練したコマンドの数と、犬の従順さの評価には正の相関がありました(p<0.01)。報酬をたくさん使っている飼い主の犬ほど、言うことをきく傾向があったということです。

では、罰を使ったコマンドの数と従順さの関係はどうだったか。相関係数の検定結果は、p=0.5。統計的に有意な相関が見つからなかったのです。

p=0.5は「関係がほぼない」と解釈される水準で、統計的に有意な差がないことを示します。叱ることを多く使っている飼い主の犬も、あまり使っていない飼い主の犬も、言うことをきく度合いは変わらなかった——そういう結果でした。「叱れば叱るほど、きちんとした犬になる」という方向には、データが動いていなかったのです。

この研究は2004年のもので、20年以上前の調査です。ただし、しつけ科学の分野では、この結果はその後の研究でも繰り返し確認されており、現在では「罰はしつけの有効性を高めない」という方向に学術的な合意が形成されています。「古い研究」というより、「20年以上覆されていない原則」として読む方が実態に近いです。

叱るほど、問題行動が増えていた

もう一つの分析結果は、さらに印象的でした。

罰を使って訓練した数と問題行動の数の関係を見ると、こちらには強い正の相関があったのです(p<0.001)。罰を多く使っている飼い主ほど、犬の問題行動が多い傾向があった。

一方、報酬を使って訓練した数と問題行動の関係はどうか。p=0.17——こちらは統計的に有意ではなく、報酬の多用と問題行動の多さには関係が見られませんでした。

研究者たちはこの結果を受け、「罰は服従の向上という利益をもたらさないままに、福祉に悪影響を与える懸念がある」と結論しています。問題行動が増えることについては、不安や混乱、何をすれば良いかわからない状態が引き起こされた可能性を挙げています。叱られた犬は「何をしてはいけないか」は感じても、「何をすれば良いか」がわからないままになりやすい。その不確かさが、問題行動として現れてくることがあるということです。

叱ることは「その瞬間の行動を止める」ことには働く場合があります。ただ、止まった後に「代わりに何をするか」が犬に伝わらなければ、同じ状況が来たときにまた同じ行動が繰り返されます。叱られる→止まる→また叱られる、というサイクルが、問題行動の強さを直接減らしていない可能性があります。一方、褒めることは「その行動をもっとやりたい」という動機を作ります。「正解の行動が報われる」という体験が積み重なると、犬は自分から正解を選ぶようになる。問題行動の減少と服従性の向上が、この方向から来る可能性があります。

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この研究は飼い主の自己申告データに基づいており、しつけの質や具体的な方法の詳細、犬種や年齢などの変数は統制されていません。因果関係を直接示すものではなく、「罰と問題行動の多さが関連していた」という相関の確認です。「叱ったから問題行動が増えた」と断言するためにはさらなる研究が必要ですが、繰り返し同様のパターンが見つかっていることは、無視できない傾向として受け止める価値があります。

あの「ダメ」は、うちの子に届いていたのか

「ダメ」と言っていたとき、うちの子に何かが伝わっていたとしたら、それは「今の行動をやめて」という情報だったと思います。でも「代わりに何をすればいいか」は伝えていなかった。「ダメ」は「禁止」だけを伝えて、「正解」を教えていませんでした。

叱る回数が増えたとき、犬は「正解が何かわからない状態」に置かれている可能性があります。何をしてもどこかで怒られる、という状態に慣れてしまった犬が、安心して「正解の行動」を試せなくなる。問題行動が増えるというのは、そういうことかもしれないと、この調査を読んで考えました。

しつけに報酬を使うことと、叱ることをやめることは、同じではありません。「ダメ」を完全になくす必要はないかもしれない。ただ、「何をすれば良いか」を教える機会が、「何をしてはいけないか」を伝える機会より少なくなっているとしたら、そのバランスを問うことには意味があります。

今日どこかで「ダメ」と言ったとき、その後に「じゃあこれをしてほしい」を伝えられたかどうか。そこに少し意識を向けることが、364人の飼い主のデータが示唆していることかもしれません。

叱ることをゼロにしようとする必要はないかもしれません。ただ、叱った後に何も手渡されていない状態が続いているとしたら——それが「なかなか変わらない」の正体だった可能性があります。「ダメ」の後に「こうすると良い」を置くこと。それだけで、あの子が正解を選びやすくなる状況が少し変わるかもしれない。20年以上前の364人の調査が残した問いは、今もそのまま有効です。