ドッグランや散歩先で、あの子が他の犬をじっと見ている場面がある。
嗅ぎ合ってから離れた後も、その犬の動きを目で追い続けることがある。飼い主から見ると「ただ見ているだけ」のように見えても、何かを処理しているのかもしれない——と思う瞬間があります。
「見て学ぶ」という能力が犬に備わっていることは以前から知られていましたが、それがいつから始まるのか、どんな相手から学びやすいのかについて、2018年に興味深い実験結果が報告されました。
8週齢で、すでに始まっていた
ハンガリーのブダペスト エトヴェシュ・ロラーンド大学の研究チームが2018年にScientific Reports誌で発表した研究では、生後8週間の子犬を対象に「他の犬や人間を見て学ぶ能力」を調べました。
実験で使ったのは、フタを押したり持ち上げたりすることで中のフードを取り出せる「パズルボックス」です。子犬はこのパズルボックスを一度も見たことがなく、最初は操作方法がわかりません。
実験は3つのグループに分けて行われました。
- 「知らない成犬」がパズルボックスを開けるところを見せてもらったグループ
- 「自分の母犬」がパズルボックスを開けるところを見せてもらったグループ
- 成犬がそばにいるが、パズルを解かない状態(社会的促進のみ)を見たコントロールグループ
コントロールグループと比較したとき、知らない成犬のデモンストレーションを見た子犬は、パズルボックスを解くことに成功する確率が5.8倍高かった(Exp(β) = 5.80; p = 0.003)。
これに対して、母犬のデモンストレーションを見た子犬と、コントロールグループの間には有意な差がありませんでした(Exp(β) = 1.78; p = 0.310)。
「母犬より知らない犬の方が効果的なお手本になった」——この結果は予想外のものでした。研究チームも「unexpected result」と述べています。
「見知らぬ犬」に、もっと注目していた
なぜ知らない犬の方が有効なお手本になったのか。研究チームが分析したのが「デモンストレーション中に子犬がどれだけ注目していたか」という指標です。
デモンストレーションを行った時間のうち、子犬が実際に見ていた時間の割合を計測すると、母犬を見ていた子犬はデモンストレーション時間の36.3%しか注目していませんでした。一方、知らない成犬を見ていた子犬は57%の時間、注目していました(p = 0.004)。
つまり、母犬に対してはあまり注目しなかったから、情報を取り込めなかった——という構造が見えてきます。
なぜ子犬は知らない犬により強く注目するのか。研究チームはいくつかの説明を提示しています。まず、知らない犬は「新しい刺激」であるため、注意を引きやすい。それだけ長く観察するから、情報を学習できる。また、母犬に対しては「食べ物をもらえるかもしれない」という別の期待が働き、「見て学ぶ」ではなく「おねだりする」という別のモードに入ってしまっている可能性があります。
注目時間と学習成果が連動しているという点は、行動学の観点から見ても興味深いです。情報を取り込むためには、まず「見る」という行為が前提になる。どれだけ優れたデモンストレーションが行われていても、対象者がそれを見ていなければ学習は起きない。この研究では、学習の失敗が「見て学ぶ能力の欠如」ではなく「注目できていなかったこと」に原因があった可能性を示しています。
狼の群れで育つ動物として進化した犬は、群れの中の様々な個体——親だけでなく、他の成体の行動も観察する環境にいます。知らない個体への注意力の高さは、その進化的な背景を反映しているかもしれない、と研究チームは述べています。生後8週間という早い時期からこの反応が見られることは、社会的学習への準備が先天的に組み込まれていることを示唆しています。
1時間後も、覚えていた
この実験では、デモンストレーションを見た1時間後に再びパズルボックスと向き合わせる「保持試験」も行いました。
知らない犬グループでは、1時間後の保持試験でもコントロールより高い成功率が維持されていました。8週齢の子犬が他の犬の行動を観察し、その情報を少なくとも1時間は記憶しておけることが確認されたのです。
人間でいえば「2ヶ月の赤ちゃんが見知らぬ大人の動作をまねて問題を解いた」に相当するような発見です。脳の発達がまだ途上にあるこの時期に、社会的学習の仕組みがすでに動いていた。この記憶保持の確認は、子犬期の経験が記憶として残りうることを示すものでもあります。
成犬でも、同じことが起きている
2016年にApplied Animal Behaviour Science誌に掲載された別の研究では、成犬の社会的学習についても調べています。ラブラドール・レトリーバー50頭を対象に、「デモンストレーター(モデル犬)がタスクを解いているのを観察した後」と「観察なし」で比較すると、モデル犬を見た犬の方がタスクの成功率が高かったという結果が示されています。
また、この研究では年齢と社会的学習の関係も検討されており、年齢が上がるほど観察からの学習がより効率的になる傾向が見られました。子犬期からこの能力は機能しており、成長とともに洗練されていく——つまり、犬の社会的学習は生涯を通じて続いていく能力だということです。
若い犬が他の犬を見て情報を取り込む能力を持っていることは、トレーニングの場面でも意味を持ちます。グループクラスで他の犬が何かを練習しているのを見ている時間は、「順番待ち」ではなく「観察による学習」が起きている可能性があります。自分が直接練習していなくても、隣の犬が褒められているのを見ながら、次の自分の番に備えているかもしれません。
隣の犬が、先生だった
この研究の発見は、日常の場面に置き換えると別の見え方をします。
パピークラスや他の犬が参加するトレーニングの場で、あなたの子が他の犬の動きをじっと見ている瞬間がある。あれは「気が散っている」のではなく、情報を取り込んでいる可能性があります。
散歩中に他の犬がリードを引っ張らずに歩いているのを見る、他の犬がすわれと言われてすわるのを観察する——こういった場面でも、あの子の中で何かが動いているかもしれない。その時間が無駄になっているわけではないのです。
知らない犬の方が注目しやすいという発見は、「社会化」の持つ意味をもう一つ広げてくれます。他の犬と接触させることで学べる社会的スキルだけでなく、他の犬を観察することで学べる行動の情報がある。成犬との接触が豊かな環境は、子犬に「見てまねる」機会を与えているのです。
「他の犬と一緒の環境に置く」という経験には、接触だけでなく観察という回路も含まれていた。あの子が知らない犬に向けていた眼差しに、今はもう少し違う意味が重なって見えます。
生後8週齢の子犬が、知らない成犬の動きを57%の時間見つめながら、そのやり方を1時間後に再現できていた。「ただ見ていた」わけではなく、学んでいたのだと思うと、あの子が他の犬に向ける視線が少し違って見えてきます。どんな犬を見ているか。何を処理しているか。そこには、私たちが知らなかった学習が静かに進んでいたのかもしれない。