SNSで流れてくるあの種の動画を、見たことがある人は多いと思います。

泣いている飼い主のそばに、犬がそっと寄り添う動画。膝に頭を乗せて、大きな目でじっと見上げる。そういう場面を見るたびに「やっぱりこの子たちは、わかっているんだ」と感じていました。

でもふと疑問が浮かんだことがあります。

それは、飼い主だから? それとも、誰かが泣いていれば、どんな人でも同じように反応するのか。

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「泣いている人」と「鼻歌の人」、どちらのドアを開けるか

アメリカのリポン大学の研究者たちが2024年にAnimals(MDPI)に発表した研究は、この問いに直接向き合った実験でした。

使ったのは「救助パラダイム」と呼ばれる実験設計です。犬が部屋にいる状態で、隣の部屋に見知らぬ人間が「閉じ込められている」ように見せかけます。犬には、その人を「救出する」ためにドアを押して開けることができる選択肢が与えられます。

見知らぬ人は、ある条件では泣き声を出し、別の条件では鼻歌を歌います。泣いている人のドアを開けに行く犬が増えるかどうか——それが問いでした。

N=35頭の成犬(オス18頭、メス17頭)が参加しました。飼い主は実験に立ち会わず、犬と見知らぬ人だけの状況です。

結果を見たとき、少し呆然としました。

泣いている条件でドアを開けた犬は39%。鼻歌の条件では44%。この差に、統計的な有意性はなかった。(χ²=0.24, p=0.63)

どちらの条件でも、約4割の犬がドアを開けにいった。でもその割合は、相手が泣いていようが鼻歌を歌っていようが、変わらなかったんです。

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怖さが、共感より先に来た

なぜ差がなかったのか。研究チームは一つの仮説を立てました。

「見知らぬ人がいる状況そのものが、犬にとってストレスになっていたのではないか」というものです。

実験の記録を見ると、興味深いパターンがありました。犬のストレス行動(あくび・体を振る・視線を外す等)は、実験の「前」——見知らぬ人がまだ登場していない段階で最も多く観察されていました。見知らぬ実験者がいる見慣れない部屋にいること自体が、すでにストレスだったということです(F=13.17, p=0.001)。

そしてドアを開けた犬と、開けなかった犬のあいだには、はっきりとした違いがありました。

飼い主がアンケートで「恐怖心が高い」と評価した犬ほど、ドアを開けるまでの時間が長かった。(泣き声条件:R=0.54, p=0.003)

ドアを開けた犬たちは、92%が「落ち着いた、社交的な近づき方」をしていました。一方、開けなかった犬たちは、35%が落ち着いた接近、25%が警戒・攻撃的な接近、25%が委縮・恐怖的な接近でした。

怖さが強い犬ほど、行動しなかった。研究チームはこれを「ストレスが感情的な共鳴を妨げた可能性」として解釈しています。怖い状況では、感情を相手に合わせる余裕が生まれない——それはラットや人間でも確認されている現象だと研究者たちは指摘しています。

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飼い主がいると、何かが変わる

この研究の設計で重要なのは、飼い主が「いなかった」という点です。

過去の研究(Sanford et al.)では、飼い主が箱の中で泣いている場面を見た犬たちは、泣き声に対して有意に早くドアを開けに行きました。その差が、今回は出なかった。

なぜ飼い主のときとは違うのか。研究チームが挙げた理由の一つが「飼い主の存在が、見知らぬ人へのストレス反応を和らげる」という効果です。飼い主がそばにいると、見慣れない人間への不安が軽減される——その状態があってはじめて、犬は相手の感情に注意を向けられる、ということです。

もう一つの可能性として、飼い主とのあいだに積み上がった経験が挙げられています。飼い主が悲しんでいるときの表情・声・動きを「この人のこれがそういうサインだ」と学習しているから、苦痛に気づきやすい。でも見知らぬ人の場合、そのデータベースがない。

犬が「泣いている人を助ける」と私たちが思うとき、その「助ける」動機が何なのかは実はまだはっきりしていません。感情的な共鳴(あの人が辛そうだから助けたい)なのか、それとも過去の経験(この種の状況では扉を開けると良いことがあった)なのか。今回の研究は、少なくとも見知らぬ人に対しては「感情的な共鳴が動機だった」という証拠は見つけられなかった、と正直に述べています。

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「不安な犬」は動けなかった

今回の実験でもう一つ印象的だったのは、「高HRV(心拍変動性が高い)の犬ほど、素早くドアを開けた」という関係でした。

HRVは自律神経系のバランスを示す指標で、高いほど「余裕がある」状態に近いとされています。ドアを開けた犬の中で、HRVが高い犬ほど速かった(泣き声条件:R = −0.82, p = 0.048)。

裏を返せば、ストレス状態にある犬——HRVが低く、落ち着いていない犬——は、相手が泣いていようがいまいが、行動することができなかった。

これは人間の研究とも重なるパターンです。高い不安状態が共感行動を抑制するという現象は、子どもでも成人でも報告されています。「助けたいという気持ち」と「動ける状態かどうか」は、別の話なのかもしれません。

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知っているから、気づける

実験室の外でもよく見る話があります。

犬が「なんとなくおかしい」と察して飼い主に寄り添った、という体験談。具合が悪い日は犬がずっとそばを離れない、気持ちが落ちているときに限って膝に乗ってくる——そういう話を、犬を飼ったことのある人なら一度は経験しているかもしれません。

あの感覚は、今回の研究を読んでもおそらく否定されていません。飼い主という「知っている人」に対して、犬が感情のサインに反応することは、他の研究でも繰り返し確認されています。

今回の研究が示したのは、その感受性が「誰にでも等しく向く」わけではないかもしれない、ということです。飼い主への感情的な感度は高い。でも見知らぬ人を前にしたとき、その前に「怖さ」や「警戒」が先に来てしまう犬も多い。

知っている相手だから、感じられる。 慣れているから、気づけている。

その子がドアを開けに来るかどうかは、その子の恐怖心の低さと、相手への親しみによって決まっていた——そう考えると、あの子がいつも飼い主のそばにいようとする姿が、少し違う意味を持って見えてきます。

この研究(Rivera & Meyers-Manor, 2024, Animals, MDPI, リポン大学)はN=35頭という小規模な実験で、各条件の犬数はさらに少なくなります。また、ドアを開けた犬の数が少ないため、開けるまでの時間(潜時)の分析には偏りが生じやすいと研究チームも認めています。実験は飼い主なしで行われており、家庭環境や飼い主が同席する状況とは条件が異なります。犬の訓練歴・犬種差・個体の社交性(見知らぬ人への事前の好意度)は今回の分析に含まれていないため、今後の研究課題として残されています。「感情的な共鳴がなかった」ではなく「今回の設定では証拠が得られなかった」というのが研究チームの表現で、犬の共感についての結論を出すには、さらなる研究が必要とされています。